「京都」と「大阪」歴史の始まり
京都の歴史は、桓武天皇が794年に平安京を現在の京都市の中心地遷都したことから始まります。平安京を当時は「たいらのみやこ」と読んでいたようです。今も京都に残る、国宝の寺院などは、多くが平安京の時代に建立されたものです。碁盤の目と例えられる街並みは、羅城門から始まり、朱雀大路と呼ばれる幅が8mという大路を通り、正面突き当たりに天皇の御殿である大内裏を構えていました。仏と政治の秩序を正そうとした桓武天皇、その思いがちりばめられた美しい街並みを守ろうと、現在も京都市内の建物の建設には厳しい制限が設けられています。
798年には、当時の京の武官であった坂上田村麻呂によって「清水寺」が建立されます。また、869年には、清和天皇によって疫病の鎮静の願いを込めて「祇園祭」が始まりました。吉田兼好が記した随筆「徒然草」に何度も登場する、「仁和寺(にんなじ)」もこの時代に建立されたものです。このように、京都市内には世界遺産に指定される寺院や仏閣が多数存在しますが、その多くが京都の歴史の始まりである平安京の時代に建立されたものなのです。紀貫之らによって「古今和歌集」が編纂されたのもこの時代であり、国文学の発展の始まりの時代であるともいえるでしょう。
大阪は古代、大和朝廷における重要な国際港として発展しました。朝廷から外国への使節団の送り出しや交易の拠点として、「住吉津」「難波津」と呼ばれる港が重要視されていました。歴史の表舞台に大阪が初めて登場するのは、大化の改新後、難波宮(前期難波宮・なにわのみや)と呼ばれる天皇の住まいが建設された時期と重なります。中央集権化を急ぎ、一時は都として利用されましたが、天皇が奈良に首都を移すと、難波宮には政治の要職にある人物のための住まいなどが建設され(後期難波宮)、副都として引き続き発展を遂げていくのです。
昭和29年、長年の発掘調査の結果、前期・後期の難波宮が現在の大阪市中央区法円坂周辺に残っていることが分かりました。二つの宮が重なって建設されていたことも分かり、大変珍しい遺跡として世界中から注目を集めました。現在では、その遺跡から発掘された内裏・朝堂院部分が国の指定遺跡となっています。難波宮史跡公園として市民から親しまれており、誰でも自由に見学することが出来ます。近くの大阪歴史博物館には、発掘された難波宮の遺構が展示されています。実際に難波宮史跡公園内を歩いてみると、その広さには驚くばかりです。