「京都」と「大阪」地名の由来
「京都」という地名は、中国などで古くから首都を表す際に「京」、「京師(けいし)」という言葉が使われていたことに由来します。西晋時代には、王の名に「師」という文字がついていたことから、「京師」という言葉が避けられるようになり、代わりに「京都(けいと)」という言葉をあて、そこから首都のことを「京都」と呼ぶようになったといわれています。日本にもその呼び名が伝わり、平安京を「京都」、「京の都」と呼ぶようになりました。これが、だんだんと土地の固有名詞として定着し、現在の「京都」の地名になったとされています。
平安京は元々、東西に分割され、古代中国の都市「長安」と「洛陽」にちなんで、西側を「長安」、東側を「洛陽」と呼んで区別していました。それぞれに市街地として繁栄しましたが、長安は人の住むには気温や湿度などの環境が悪かったため、やがて廃れていきます。長安が廃れると市街地は「洛陽」に移行し、平安京は実質的に「洛陽」のみとなります。このころから、人々の間では「京都」という地名よりも、「洛陽」という呼び方が定着していきます。そのため、京都に行くことを「上洛する」という言葉で表すようになりました。
「大阪」という地名の由来には諸説ありますが、明治維新より前の時代には「大坂」と呼ばれ親しまれていました。「大坂」が始めて地名として書物に登場するのは、浄土真宗を発展させた著名な僧である蓮如の御文(おふみ)の中の一文です。蓮如が「大坂」と呼んだ地域は、「難波」などの地名が使われていましたが、石山本願寺の建立によって地域の勢力が増したことで、地域を拡大し、「大坂」という地名も徐々に定着していったといわれています。当時は「おおさか」と読まずに「おさか」「おおざか」という読み方が一般的だったようです。
大坂の「坂」という字が現在の大阪の「阪」という字に変わったのは、明治維新の後、1868年の大阪府設置の時でした。大坂の「坂」の字が、分解すると「土に反る」という言葉となり、「反る」は「死ぬ」を意味していたため、縁起が悪いとされたことが原因です。同じ「さか」という読み方で、小高い丘や土山を現す「阪」の字をあて、「大阪」という字が正式なものとして定着しました。当時の大阪府は、現行の大阪府よりも面積が小さく、近隣に配置されていた複数の県と合併・分裂を繰り返し、1887年に奈良県が再設置されたことによって、現在に至ります。